私事です。

1/9火曜日、新学期の始まった日の夕方、息子がお腹の不調を訴えました。久々の学校で疲れたか、久々の制服で冷えたか。もう高校3年生ですので多少「珍しいな」と言う気持ちはありましたが、温かくして消化の良いものを食べさせました。
が、このお腹がいつまでも治らない。水曜、木曜、金曜、ふりかけのおにぎりなら食べられる、肉は見たくもない、揚げ物も食欲がわかない。うーん、変な長引き方だな、と多少心配になりつつも週末。土日は私の大学院スクーリングでしたので、おとなしくしてなさいねと言って1日中留守にしていました。それでも土曜は大丈夫でしたが、日曜日。
スクーリングの後に仕事を一件入れてあって、終って家に戻るとリビングのソファで息子がミイラのようになっています。寒い。変。体温計が全部電池切れだった。と呟く彼の顔は土気色。
おでこを触れば高熱です。それは寒いのではなく寒気がしたのだ、と言いながら身体をもっと温かくし、逆に冷やすべき部分は冷えピタとアイスバーで冷やし、解熱剤を飲ませ、家人に買って来てもらったポカリ、みかんなどで水分を取らせましたが、うーん、これは多分インフル。
このまま熱が上がるなら救急外来に行ってインフル認定してもらって抗インフル薬だなと思いながら保険証と現金を用意しつつ見張ると、水分と解熱剤と外から冷やしたことで少し楽になって行きます。
寝られるようなら寝てもらい、明日近くの病院に行く方が楽なので、静かに夜。
月曜朝、もちろんまだ高熱ですが、少し楽そうです。水分を取らせ、解熱剤を飲ませ、午前中に一件仕事が入っていたのでそれだけ急いで終らせて、戻って病院。120メートルくらいの近さの内科まで歩かせ、インフル検査、2分くらいで「出ました、B型です。飲み薬と吸入、どちらが良いですか?」と言われて本人が吸入のイナビルを選びました。
さて、ここで気になるのがインフル幻覚による飛び出し事故のニュース。
息子が前回インフルにかかったのは4年生の時、デンマーク家族留学中の時でした。元々高熱で幻覚を見たり引きつけを起したりしやすく、小さいときは3回救急車に乗っています。3回目は小学校に上がってからだったので、「次回引きつけたら、脳波を計りましょう」と言われていた子です。このデンマークでのインフルの年は新型インフルエンザSARSが世界規模で流行した年で、留学前にタミフルを処方してもらって持って行っていたのですが、飲ませて症状は治まったもののしばらく幻覚と話をしていて、それはそれは恐ろしい思いをしました。
この記憶がよみがえり、さらに現在9階に住んでいるし、事故の多い若者の年齢ですので、お医者様に「飛び出し、注意ですかね?」と伺ったところ、「うーん、薬を飲まなくても事故は起きているんですけど、そうですね、ないとは言えないので見張っててください」とのお返事。久しぶりに息子の一挙手一投足に意識を向けながら24時間監視体制に入りました。18才の若者が飛び出そうとしている時に私一人で力ずくで止められるものだろうか、とヒヤヒヤしながら。
幸い、そのまま熱は37℃から高くても38℃くらいに落ち着き、水分もしっかり取れて体調が安定し、幻覚を見ることも無く、窓から出ようとすることも無く、火曜、水曜が過ぎて行きました。
私も対面の仕事は次々キャンセルさせて頂き、見張り続けていましたらどんどん調子が悪くなり、木曜の午後発熱。同じ病院にヨロヨロ行きますと、同じB型発症でした、毎年予防注射を打っていたのに(息子は注射嫌いなので4年前から「打っても打たなくてもかかる時はかかるでしょ」と予防注射を拒否していました)。

見張り続ける気持ちは、心配する気持ちです。
ウチの息子、小さい時はアトピーが酷かったので、かきむしらせない様にこんな風に毎日見張り続けていました。常に見ているか、見ていない時は耳をすませて気配を聴き、こする音、掻く音が聴こえたらすぐに肌ケアか気を紛らわせるために動けるようにしていました。
あの頃の、煮詰まった気持ち。
心配でパンパンにふくれあがった気持ち。
ネットで情報を調べ続けて、でも答えが出ない焦り。
目の前にいる子に笑顔を向けつつ、心の奥が暗い重いツラい気持ち。
熱と共に寝たり起きたりしながら、色々な気持ちが、久しぶりによみがえって来ました。
それは、今私のところに来てくださるママたちの気持ち、このブログにたどり着いて読んでくれているママたちの気持ちだなあ、としみじみ感じました(パパたちも、おばあちゃまおじいちゃまもそうですね)。

お陰様でインフルは抜けて、すっかり平常営業ですが、大切なものを思い出させてくれた病でもありましたので、ブログの間が空いてしまったことのお詫び方々書いてみました。