メンタルと音、音の取捨選択の起す悪さ、について
見ようと思ったものに焦点が合うように、耳も聴きたいと思った音に焦点を合わせて日々生活しています。そんなの当たり前じゃないの、と私達は感じますが、じつはそこには「気持ち」による選択が混ざっているので、話はややこしくなります。
目は「見たくない」と思ったものに焦点を当てないようにする機能は…無いですね。見まいとして目をそらすことしかできないのではないでしょうか。
耳にはそれができてしまいます。聴きたくない音に対する感度を下げる、聴きたくない音の辺りをぼんやりとしか聞こえないようにする、聴きたくない音が入って来ないようにわざと遠回しにする、こんな事ができるのです。
だって私達の耳は聞こえている全ての音の中から聴きたい音に焦点を当て、残りの音は捨てると言う取捨選択ができるのですから。
不思議ですよね、なぜこんな仕組みが? と思いますが、それはやはり聴覚がメンタルにそうとう大きく影響を与えてしまう事と、目を閉じたりそらしたりすれば情報入力しないですむ視覚と違って、聴覚はどんな状態でも「聴こえてしまう」ことからくる自己防衛の機能なのではないかと思います。
音のトラウマ、声のトラウマは、聴覚のアンバランスを引き起こします。
最初は一時的な、その音や声が聴こえて居る時だけのものです。親から叱られる時、わたしたちは聞かないように耳のシャッターを閉めていますね?(ちゃんと聴きなさい!! と更に怒られるツボでもありますが) あれが一時的な「聴きたくない音に対して感度を下げた状態、聞こえているけど聴かない状態」です。
それが長く続くと、アンバランスが定着し始めます。多少アンバランスになっていても、全体的に聞こえないところまで聴覚が下がらなければ周囲も本人も気がつきません。
けれどアンバランスが定着すると、聴覚からの入力情報は難しくなります。
聴きたい音に焦点を合わせる事に大変な苦労をするようになる方もいます。毎日へとへとでしょう。
逆に聴きたくない音から逃れようとし過ぎ(コワイものから目が離せないみたいに)、今にもその音がしてしまうのではないかと1日中ビクビク過ごしている方もいます(自分でその音を再現しているような状態です)。恐怖は心身の緊張を生み、音に対する感度が逆に上がってしまう事があります。
心理的な原因をお持ちの方の聴覚過敏は、こんな状態なのではないかと私は考えます。
毎日、本当につらいと思います。お疲れさま。
トマティスの聴覚トレーニングでは、まず入ってくる音があなたを攻撃しない状態を作り、耳の防衛反応をゆっくり時間をかけてほどいていきます。
同時にご自身の呼吸の状態と身体の緊張に意識を向けて、それが聴覚過敏と関係がある事を理解していただき、そちらもノーマルな状態に近づけていきます。
大人でも子どもでも同じように、音を受け入れてくれた身体はしっかりとゆるみ始め、聴覚過敏を引き起こさない場面でのリラックスが始まります。