子供から「学校がつまらない」と言われた時。
親はひやっとするかと思いますが、どうぞそのまま彼・彼女の言い分を聞いてみてください。問い詰めるのではなく、聞かせてほしいと言う気持ちとともに「どんなところがつまらないの?」と。

うまく説明してくれる子もいるでしょう。おともだちと喧嘩したとか、勉強がわからないとか、教室がうるさいとか、給食が美味しくないとか、席替えの結果が嫌だったとか、先生に叱られたとか、とか、とか。
まずは受け止めてあげてください「そうかあ、大変だったね、よく伝えてくれたね」と。

うまく説明できない子もいます。「だってさあ」「いやなんだよ!!」「嫌なの」「(泣く)」などで伝えてくれます。
これも受け止めてあげてください「よしよし、大変なんだね、伝えてくれてありがとう」と。

微熱、体調不良、頭痛、腹痛、吐き気、めまいなどの体の症状で訴える子もいます。人の体はそんな風にできています。可能なら少し休ませてあげてください。「なんか大変なんだね、少し休もうね」と。

「学校に通うのが子供の仕事です」と説明する親もいますが、転職が当たり前のこの時代。嫌な職場から逃げ出す自由が大人にはあります。子供にはその自由がありませんので、この説得は少々時代遅れ。
「贅沢言うんじゃありません」と言う親もいますが、学校に通わないことは「贅沢」なのかしら? メアリー・ポピンズのお話みたいに家庭教師を家で雇うことがお金持ちには当たり前だった時代であれば、確かに「学校に通いたくない」ことは贅沢なのかもしれませんが。

家で学齢期の子供が何もせずにぶらぶらしている。
家で学齢期の子どもが学校に行かずにゲームばっかりしている。
親、特に家にいる時間が長い方の親(多くの場合は母親たち)には、なんとも息詰まる日々です。
早く元に戻ってほしい。
早く学校に行ってほしい。
どう扱えばいいかわからない。
子どもは子供の群れの中にいてほしい。
親の切実な気持ちです。

子供時代の私は、当時自分がギフティッドだなんて知りませんでしたが、授業でやることは教科書読めばわかるよね、と言う思いがあり、授業中が楽しいと言う記憶がありません。
教科書を使わない学校に4年生で転校し、ここは授業と取り組む必要があるなと思いを新たにはしましたが、理解してしまった内容を延々と繰り返している授業のあいだは何秒息を止められるかチャレンジしたり、円を直線で分割して正確な12角形など書いて対角線を延々と引いたり、授業の邪魔にならないように時間つぶしをしていました。

当然、当時そんな言葉にはしなかったし親にも何も言いませんでしたが、「学校はつまらなかった」のです。

なので、週に一度ほど体調不良を訴えて欠席し、家の本棚から好きな本を読み漁る小学生時代と、さらに学校に通うのが面倒になって週2,3日は休んでいた中学生時代を過ごしてきました。
中学生時代は腎臓の軽度な不調も見つかり、大手を振って「今日はだるい」と言って学校を休みました。少し前なら心身症、今だと登校しぶりの子供です。

母親は真面目なタイプですし、私の母ですので古い教育で育っている人です。理由なく「学校に行きたくない」と言えば当たり前に「子供は学校に行くものだ」と説教するタイプ。
ただ、そこには「体の不調」と言う、学校に行きたくない子供に大変都合のいい言い訳がありました。

私は、私のその言い訳に救われた、と思っています。
学校を休みたい子は、休みたいのです。
休んでいる間に気持ちが落ち着くかもしれません。
神経が休まるかもしれません。
体が回復するかもしれません。
全部が一度に起きるかもしれません。

私も何日か続けて休むと、やっぱり学校に行こうかなという気持ちが少しずつ溜まって行くのを感じて、また学校に行ってました。

今、不登校の子どもを抱える親たちと話すことが多くなってみて、母たちの焦りのケアが大切だなと痛感します。
小中学校時代、一週間くらい休んだって本当は大した問題ではありません。
けれど親の心配が止まらないと、家の中がピリピリします。
今日は行けなかった、明日は行けるかしら、学校から電話がかかってきたらなんて言おう、と横で親がずーっと考えているのが伝わってくる。。。
これでは家の中でもなかなか回復するまで休まりません。
だから余計に長引いてしまう、そんな風になっているご家庭もあるのかなと思います。

ママ、心配しないで。私は少し疲れたから休みたいの。よく休んだら元気が出てくるからまた学校に行けると思う。途中で無理に学校に行っちゃったら、またすぐ疲れちゃって、どんどん学校に行けなくなると思う。だから心配しないで私を休ませて。

こんな風に私は説明したかったかなあ、と考えます。

そして同時に、こんな風に説明されたら私は子どもを休ませてあげるかなあ、とも考えます。
学校からの「通わせてください」という大波に対して、防波堤になって子どもを守ってあげられるかなあ、と。