ハイリーセンシティブ=感覚が鋭敏である事、それは才能です。

遠くの音が良く聞こえる。遠くの物が良く見える。味でいつもと違うものだと解る。匂いで向こうに何かがあると解る。空気の肌触りで明日の天気が解る。一目で他人の動きを真似できてしまう。そして感のよさ。何かが起こりそうな、誰かが嘘をついていそうな、誰も知らないはずの物事が解ってしまう力。五感に加えてこれを第六感と昔の人は名付けました。

感覚が平均以上であった事は、素晴らしく役に立つ事です。

音楽関係、音響関係の仕事をしている人たちには他人には解らない程の小さな音の差異を聞き分けられる人がいます。美術関係、グラフィック関係には色分析の素晴らしい人、小さな角度のズレやミスを見分ける人が(私の妹はウチに来ると「この鏡は歪んでいる、この洗面台は傾いている。どうして気がつかないの?」といつも言います)。ダンス、スポーツなどのボディーワークも同じです。様々なプロの中で一流と呼ばれる人たちは、そのジャンルの感覚がずば抜けているのだろうと想像します。そうでなければ、そのジャンルを選ぶ事そのものがないでしょうから。

ひるがえって、感覚が平均以上である事は、多数派である平均に合わせる為にものすごい努力をさせられていると言う事です。それはどの感覚が平均以上であったとしても、合わせる為の大変な努力でヘトヘトになる日々でしょう。人生、楽しめていない場合もあると思います。

感覚が鋭敏である事は、集団ではみ出るかもしれませんが、やはりそれは才能なのです。

その子が、その人が、持っているその力を、どんな風に育てて行けば人生を楽しめるようになっていけるのか。その事をゆるゆるとお手伝いしています。

今日の一冊は「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」イルサ・セン著 ディスカバー出版。デンマークにもハイリーセンシティブな人はいて、その人たちがどんな風に生きているかが書いてあります。