みみいく麻布センターから2ブロック先にさいとうクリニックがあります。

今通っているCSPP(カリフォルニア臨床心理大学院日本校)の設立者のお一人でもある斎藤学先生の、心のことであれこれを持つ方へのデイケア・ナイトケアが大変充実したクリニックです。

近所だから、というだけではなくちょっとしたご縁があって、去年から年に何回か発声講座で呼んでいただいております。

5月末の講座で、ちょっと変わったことをしてみようと思い立ち、お芝居や映画のセリフをいくつか抜粋して持っていったところ、大反響だったそうです。

それは嬉しいなあ、とその話を聴いて思いました。20代半ばから30代半ばまで10年ほど役者をやっていた時期があり、それは私にとって自分の心身を解放する大きな変化の時期だったのですが、その時の経験がこんな風に役に立つ。人生に無駄はないなあと思います。

「演技をする」という言葉には「嘘をつく」という意味があります。自分の本心を隠して相手に受け入れやすい返事や反応をする。これも演技ですね。

けれど、本当に演技をするということは、自分をその演じられる人物に限りなく寄せていく作業だと私は捉えています。その人の考えに、気持ちに、動きに、無意識にまで、しっかりと入り込み、自分と重ね合わせ、一時的にその人の方法を選んで生きる。自分の自我は背後からそれを見る。少なくとも私にとって、調子の良い時の演技とはそういうものでした。舞台の演劇では何度も同じ場面を演じます。それは、その人の人生のその瞬間を何度も繰り返して生きる、そういう体験として私は演技を考えます。

そう考えると。演じることは、自分という形にがんじがらめになってしまっている時、自分以外の存在や考え方や気持ちの可能性に気がつかせてくれる素晴らしいシステムです。昔の生活なら祭りがありました。大声を出しながら神輿を担ぎ回る。神の衣装をまとい、神となって世界を見渡す。村の歴史を語るときには語り部として様々な事柄と人々の気持ちに触れたはずです。村の芝居もあったでしょう。お囃子などの音楽も非日常として機能していたはずです。

テレビやネットはたくさんのバーチャルでリアルな経験をさせてくれるけれど、自分から切り離してはくれません。

声を出して本を読む/読み聴かせることは語り部の末裔の仕事。様々な声を出し、様々な気持ちになり、様々な体験を自分の心と体で生きる。味わい深い行為です。親である人も親でない人も、こんな素敵な仕事を取り戻す良いきっかけとして、どうぞ音読を。そして素晴らしい演技を。