小学生向けに作文クラスを開いて1年になります。中学生になっても全く作文ができない子(男の子の方が多いですね)に作文の書き方を教えていて、テーマに対して自分の気持ちがほとんど動いていないことに気がついたからです。鉄は熱いうちに打て。

どの辺りから気持ちが動かなくなるのだろうか、と生徒たちを観察すると、やはり3〜4年生の頃。それまで無邪気に書けていた子たちも気がついちゃうんですね「自由に書けって言うけど、先生が気に入る答えがある」って。ここで「結局答えみたいなのがあるんじゃん」と一気に作文に対してテンションが下がる様です。

私は作詞家でもあるので、作文は絵を書くこととイコールだと思っています。自分の思うままに、自分の中をどんどん掘り下げて、自分が考えていることを具現化することが作文で、出来不出来はテーマの選び方や意見の受け入れられやすさではなく、自分とどこまで本気で取り組んだかにかかる、と。

感情にはプラスもマイナスもありません。「ポジティブがプラスでネガティブがマイナス」と多くの大人たち(特に教育に関わる人たち)は思い込みがちで、作文でも「よい気持ち」「褒められること」「いいこと」「ステキなこと」を書くようになんとなく指導してしまうようですが、ネガティブな感情も本人の一部ですからそれとも向き合わせた方が良いし、そのエネルギーは本人の素晴らしいエネルギーですから、無視するとこじれます。

私の作文教室では、本当に自由に書けるようになることを目標に、いろいろな手法で子どもたちの脳をビックリさせながら気持ちをほぐし、安心してネガティブな感情も吐き出せる場所になっています。

子どもたちは真面目だから、本気で悩んで、苦しくなって、傷ついて、死にたくなったり死にそうになったりしています。

けれどどう出していいか解らなかったり、誰なら本気で聞いてくれるか自信が無かったり、こんなことでへこたれちゃだめだと我慢しちゃったり(ポジティブ信仰の罠ですね)、イライラして八つ当たりして状況を悪化させたりしてしまっています。

子どもたちの、放課後の心の保健室として作文教室は機能するようになりました。疑い深い子どもたちも少しずつそこの場所と教えている私達を信頼してくれてきたかと思うととても嬉しいです。

そして子どもたちの作文は「親と先生が求める正解に近いもの」から「自分の考えること」へとちゃんと変化しています。それもとても嬉しいことです。