ADHDは現在「注意欠如・多動症」または「注意欠如・多動性障害」と呼ばれます。
不注意が強い子、多動性と衝動性が強い子、両方を持っている子、の3パターンがあります。その子がADHDなのではという疑いは、小さいうちに始まる場合がほとんどです。2013年発行のDSM5というアメリカ心理学会の診断基準(2014年日本語版発行)でASD,自閉スペクトラム症との併存診断も可能になりました。

多動性と衝動性が強い子たちの幼児期は、「どんなに手をしっかり掴んでいても振り払って走り出す」「車が来ているかなんて見ないから、いつ事故にあうかと冷や冷やしていた」「新しい場所では常に迷子になっていた」「いつでも走って追いかけられるようにスニーカーしか履けなかった」と、どの保護者の方からも気力と体力を総動員する日々だったと伺っています。お疲れ様です。

パルクールやグレートレースの映像を見る時、この人たちの子供時代と現在の日常はどうなのだろうといつも考えます。体を動かし続けていることで心身のバランスが取れている人たちなのではないのか、じっとしていると壊れちゃう人たちではないのか、と思うのです。
ダンスや競技スポーツになると、少し違う気がします、もっとルールがあり、終わりが明確だからです。
もっとプリミティブな、走り続けたい! 動き続けたい! どこまでも、いつまでも!!! そういう衝動に近いほどのエネルギーと、それに伴う快感。
赤ちゃんが初めてハイハイで移動できた時、つかまり立ちで立ち上がった時、自分の足で歩くことができるようになった時、その時の感動と全能感を、感じ続けている人たちなのではないか、と練習しつづけるところなど映像で見るとしみじみ思います。
そしてそんな身体能力が平均より優れた人たちが、ADHDのラベルを貼られているとしたらそれはどうなのか、と。

ADHDの多動症の診断基準を見ると、手足をソワソワ動かしたり、席をしばしば離れたり、走り回ったり高いところに登ったり、静かに遊べなかったり、じっとしていられなかったり、喋りすぎたり、順番が待てなかったり、他の人の邪魔をしたり、そんな項目が並んでいます。
これらがあることそのものが診断になるのではなく、これらがあることで人付き合いや、勉強や仕事に悪影響が出てしまっていること、が診断の基準として大切な部分です。

教室で黙って集団授業を受けることは、かなりの努力を要します。
けれど、馬や羊を追いかけて野山を走り回ったり、隣町まで走って手紙を届けたり、高い木に登って街道を行列が来るのを確かめたり、船を出して魚を獲ったり、誰にも邪魔されず、誰からも制限されることなく、好きなだけ体を動かしていれば、わりとそういう子達ってバランスが取れるんじゃないかなあ、と、今まできたADHDの診断や疑いのあった子達を思い出して考えています。

好きなことでも集中できず、次々切り替わる興味で落ち着かなくて苦しいのであれば、投薬は役に立つでしょう。まずお薬で少し神経系を鎮めて、整えていくのも方法です。

もしもたっぷり体を動かすことで、授業中くらいは立ち歩かないでいられるようになるタイプであれば、朝のジョギングとかで一汗流してから学校に行くような生活習慣が役に立たないものだろうか、と思っています。

どんな子でも体と気持ちがスッキリしていれば、集中しやすくなりますからね。