天才たちの脆弱性はどこから来るか

ギフティッドの子たちで、学校に行けなくなる子たちも多くいます。

勉強が退屈だから、という「知能」に対してミスマッチな教育を強いられることから来る場合もあります。

話の合う友達がいない、という「心の年齢」に対してミスマッチな人間関係を強いられることから来る場合もあります。

教室の喧騒が感覚の過敏さに合わない、という「感覚過敏」に対してミスマッチな環境を強いられることから来る場合もあります。

ここのところ、何人かのギフティッドで学校に行けてない、行きたくない、何年か行ってなかった子たちと話して、もう一つキーワードが見つかりました。
「他人のいる場所での自己感の脆弱性」のある子もいるのではないかな。

一人きり、または母と二人きり、または絶対に受け入れてくれると信じられる人とのみだと、のびのびしてるし、天才性も発揮して実に楽しそうにクリエイトしたりレクチャーしたりしているのですが、自分が受け入れられるかどうか分からない相手がその場にいると、一気に①フリーズする、②閉じこもる、③落ち着かなくなる、④ぐったりする、⑤乱暴になるなど、コミュニケーションレベルというか世界との関わり方の質が一気に下がる子たち。

不安感かなと思っていたのですが、何かもっと脆弱な様子を見せる子が散見されます。
それは、世界全てが自分の思い通りにコントロールできている状態を良しとするから思い通りにならないことは受け入れられない、とか、世界全てを計算し尽くしたと思っているので計算できない変数が多すぎると計算が破綻する、とか、ある部分とても完璧主義な子が多いです。片付けとかできない、締め切りとか守れない、その根元に「100点満点のものしか完成品とは呼ばない」と言う、こだわりがあるようです。

このこだわりは自分をも蝕みます。100点で無い自分は完璧では無い、と言う間違った方向に進みがち。そしてそっちに進むとどんどん自分の世界を小さくして自己を守る方向に向かいがちです。

これはかなり小さいうちに、立ち直り力がまだ強い間に、学校に通うよりはるかに手前の時に、緩めてあげる必要があったんだろうなと思います。

保育園でギフティッドのスクリーニングをしてあげたいなあ、そこで既に心の問題で遠慮したり悩んだりしている小さなギフティッドがいたら、心のケアをしてあげたいなあ、と書きながら考えています。

もちろんすでに傷ついてしまったギフティッドの子たち、大人たちも、思考と心を緩めてあげたいとつくづく思います。
世界は広い。
でもそのことは君の価値とは関係ない。
誰と比べることもなく、君は君であることが価値だ。
君が君であることを喜び、たっぷり楽しんで生きて行こう。
君が一つの世界。
そして他の人はまた別な一つの世界。

これに関してご意見募集。
ギフティッドの子たち、読んでどう思ったか、よかったらメールください。