11年前。
私は小学生の子供の母親で。
あの日のあの時、仕事の会議に出ていて。
風邪を引いて寝ていた息子が一人で被災した、と急いで電話をかけたら奇跡的に電話が繋がり、一人ではなくたまたま夫がいてくれたことが本当にありがたかった。
電車も止まって家まで1時間かけて歩いて帰り、9階まで階段を登って玄関のドアを開けて、息子と夫の顔を見た時の安堵感は忘れられない。
幸い停電はしなかった、断水も。
食糧の買い置きは多い家だった、避難用品も。
けれど電力の逼迫は見えていたし、息子が「もうニュースは見せないでほしい」と言ったのでテレビを消し、手廻し充電のラジオでニュースを聴いた。
その夜、北関東から就活で来ていた若い友人が帰宅難民になっていると別な友人から連絡があり、彼女を電話でナビし、うちまで来てもらったこと。
彼女のケータイがうちの充電器と合わなくてマンションの他の部屋に充電器を貸してもらいに行ったこと。
家族三人と彼女とリビングで一緒に寝たこと。
彼女の分の非常持ち出し袋も用意して渡したこと。
彼女は北関東の大学に戻りたがったが、実家のご家族は今すぐ家に戻るよう説得していたこと、大学の友達たちからは断水停電食糧不足、戻る人は一人でも少ない方がいいかもしれないと言われたのを横で聴いたこと。
次の朝近くのコンビニには食べ物と水が完全になくなっていたこと。
福島の、東北の、沿岸と原発近くの被害に比べれば、本当に小さな被害だったけれど。
今年もこの日がきます。
朝から気持ちがざわついて落ち着きません。
様々な方のために祈ります。