勉強と遊びとどっちがいい?

と子供に問えば、「遊び」と答える子の方が多いでしょうか。疑い深い子や慎重な子だと「なんの遊び?」と尋ねてくるかもしれませんね。でもまあ遊びが勝つかなと。

それは、勉強が遊びを置き去りにするしかない状況になっていることから来ているのだと思います。
不思議なことを見つけたり、新しいことを考えたり、勉強にはワクワクや発見がいっぱいあるはずなのに。

私は、中学の理科の授業で「水に浮いている500グラムの船を引っ張るとき、引っ張る手にかかる重さはどうなるか」と言うテーマのために2,3時間かけた記憶があります。
まず自分で考える、仮説を立てる、ですね。多分これに1時間。
それからクラス全員の答えがどうなったかを調べる、重くなる、変わらない、軽くなる、の3パターンになったはずです。
そこでさらに議論です。そんなはずない。絶対こうだ。こんな経験をしたからこう思う。そんな感じで1時間。他人の意見を聴きながら自分の考えを変えてもOKです。
自分の考えに自信のある意見が対立すると長引きます。

この授業は最後に一人だけ「軽くなる」と自説を曲げず、残り全員が「変わらない」と「重くなる」方になりました。

ここで全員を引き連れて先生は外に出て、校内の池にその船を浮かべて、バネ計りで引っ張って全員に確認させました。
浮かべると軽くなるんですね。

正解だった一人を除いて全員が「ええーっ!!」と絶叫。
レポートには、仮説と、議論による仮説の変化の経緯と、実験の結果と、それを見た時の気持ちとかまあ色々盛り込んで書いたと思います。書きたくなっていたからです。

ここまでやれば子供達は楽しいし、考えるし、知識が身につきます(理科嫌いな子を好きにさせる、までは言いませんが)。
浮力の理解の実験に2,3時間、、、教科書全部を終わらせるのは無理ですね。
実際私のいた中学では、私立なので教育指導要綱にはあまり拘らず、多分教科書の内容の6から8割入れられれば上等、と当時の先生たちは考えて授業をがっつりと体験型にしていたのだと思います。

生物の授業でメタンガスについてのレクチャーをした後に先生が「じゃあどんなところにあるか分かったはずだから取っていらっしゃい」と採取用のガラス瓶を前にニヤリと笑った顔、忘れられません。近所の井の頭公園まで取りに行っちゃってなかなか戻って来なかったグループがあったことも、だけどメタンガスの大量採取に成功したのは学校の池でちょいちょいと取ったチームだったことも。

遊びが学びになってしまう、そんな学校で育ってなかなかに幸せでしたよ。