私がトマティスコンサルタントになった理由その2で、いつか続きを書きましょう、なんて書いたのが2020年の記事でした。月日の経つのは早いものです。
トマティスコンサルタントの資格を取ってすぐ妊娠出産があり、しばらく子育てで携わることはできませんでした。
予測はしていたのですが生まれた息子が大変過敏な、こだわりの強い、言語がとても強いタイプだったからです。あの頃調べてみたらWISCで相当な数値が出ていただろう、そしてアンバランスも大きかっただろう、と今なら十分想像できます。
しかもアトピーがかなりひどかったので生まれて数年はその対応に母子で追われました。
2歳半で港区に引っ越しましたが引っ越し先ではインターナショナルの保育園しか空いていない状況でしたので、そこに入ってもらってみて、彼の言語の強さに気がつきました。
母語以外の言語を本気で入れると、当然子供たちの言語の成長はゆっくりになります。子供の中で両方の言語を育てる必要がありますから、一つの言語に使える時間と脳の言語野のスペース、入ってきた言語を処理して理解して記憶する能力などが半分になるのです。
彼の言語は一時期日本語の成長が停滞しました。これは想定内。それからしばらくすると「英語でみんなが何話してるかよくわからなくて嫌」とか「なんて返事しようか考えてると『聞こえてないの?』なんて意地悪言うお友達がいるんだよ」という愚痴が出てきました。
ピンチはチャンス。
「じゃあ、ミス〇〇と二人だけで英語のお勉強する時間があってもいいのかもよ」と誘い、ミス〇〇のおかげで彼の英語はグングン伸びました。私があれ?と思うほどの伸びでした。しかも日本語の伸びも元のスピードになっていきました。
彼は言語が相当強い子なんだと理解して、さて考えるのはどちらの言語を主言語として育てるべきかと言うことです。
まだ就学前、いくらでもコースは考えられます。インターナショナルスクールの見学にも、公立小学校の見学にもいきました。
私立の小学校は。。。お受験塾は通い始めた他のママから「息子くんじゃなくて二村さんがきっと無理よ」とアドバイスをいただき、私も毎日紺のスーツで他のママたちと足並みを揃えて、と言うのは無理だ思いましたのでチョイスからは外しました。
唯一、私の母校、吉祥寺にある明星学園ののびのびした自由教育には未練があって学校説明会にもいきましたが、港区から通うにはあまりに遠いと言う理由でパスしました。
インターの小学校に入れたら。彼の主言語は英語になるでしょう。その場合問題になるのは彼の父が全く英語を話せないことです。移民の一世と二世の間にある言語のギャップが家の中に起きてしまうことになる、それは回避したいと思い、結局彼には家から一番近い公立小学校を選びました。
今度は英語をどうするかです。
第二言語を親の都合で取り入れたのですから、それにはきちんと責任を取る必要があります。
実際にインターの保育園にいてペラペラ喋って英語のワークブックを解いていた子たちでも、日本の小学校に入って英語を追加しなければほんの数ヶ月で読めない書けない喋れないことになると言うのは目にしてきています。
それも週一回のレッスンくらいでは足りない感じでした。彼らは日本語と同じくらい英語で喋れていた記憶があるので、ちょっと聞き取れない、ちょっと話そうとして頭の中で英語にまとまらない、英語の文をパッと見て日本語と同じように意味が入ってこない、そんなつまづきで英語そのものを「できないからもうやらない」と嫌いになっても仕方がないのです。
息子には保育園のアフタークラスと、保育園にいた先生の少人数レッスン、5歳から通い始めたレゴスクールも英語でのレッスンでしたので、これで週3の英語時間を確保できました。
英語でお芝居のお稽古も通ってみましたが、「お芝居のセリフ以外はみんな日本語で喋ってる」とつまらなそうでパス。
あとは夏休みに保育園の卒業生用サマースクールに3、4週間通ってもらって、集中的に英語時間を確保していたら、なんとも上手に日本語も英語も伸ばしていきました。
私が育てたから、とか、環境を上手に整えたから、とか、そう言うことではないと思います。
息子は元々とにかく言語力がとても高く、少し他の言語でも入れて日本語の伸びを抑えてあげないと小学校の国語の授業で吹きこぼれてしまうタイプだったのです。なんとか公立の小学校に6年間在籍してもらうための副産物がバイリンガル化だったと言ってもいいでしょう。
日本語には問題はなく、しかも英語もそれなりに伸びてしまった息子の中学選びはまた大きな問題になりますが、長くなりすぎましたね、また続きを書きます。