年々、夏休みの終わりのこの時期の「学校行かなくていいよ」「学校行かなくてもここがあるよ」キャンペーンが増えてきていて、困っている子供と保護者にその声が届くといいなと心から思います。
命と学校どっちが大事? といえばどんな人でも「命」と答えることでしょう。
でも学校に行かないことにつきまとうこの罪悪感とか不安感とか、これは一体何なんでしょう。
保護者としては「普通の子どもにできることがこの子にできない」ことに耐えられないのかなと考えます。それはご自身のお子さんを「普通の子ども」というジャンルの一人として見ていて、「その子そのもの」として見ていないときに起きる現象です。
私は小さい頃からお腹が痛いとか熱があるとか仮病を使って週に1日くらいは休んでいました。家は病院でしたので、病気となれば気前よく自宅で休ませてくれました。母はかなり疑っていたと思いますが、自分も虚弱でちょくちょく学校を休んでいたので弱い子には少し甘かったのだと思います。
学校に行かず、静かな家の中のフカフカの布団の中で、父の本棚から読めそうな本を引っ張り出して読みふける昼間。学校の騒がしい教室で、硬い椅子に座ってじっとつまらない(失礼)授業を聴くことに比べて、どう考えてもこっちの方が天国です。
もしゲームのある時代だったら、私は絶対にこの布団の中にゲーム機を持ち込んでずーっとやってたと思います。
嫌なことには理由があります。
私は毎日学校にいることに疲れを感じていました。
今の私の知識で考えれば、学校の喧騒が耐えられない聴覚過敏の傾向もあったのだと思います。
勉強は好きでしたが、一回でわかってしまったことを延々と何度も繰り返す授業に飽き飽きしていました。
体育は苦手で、できれば体育のある日は休みたいと思っていました。
友だちは好きでしたが、一人で本を読む方がずっと好きでした。
姉と妹がいたので、彼女たちがいれば居間はみんなの話で騒がしくなります。姉妹といるのも楽しくはありましたが、彼女たちのいない家の時間は静かで大変居心地の良いものでした。
この状態は公立小学校にいた4年生の二学期まで続きます。
そこから吉祥寺にある自由教育の私立明星学園に通い始め、授業や学校はエキサイティングで学校に行くモチベーションは上がりましたが、今度は通学のバスが息苦しくて乗れなかったり、50分くらいかかる通学が億劫で休んだりしていました。
中学時代は特に腎臓が悪いと健康診断で引っかかって体育も見学の許可をもらったので、大手を振ってその日の気分で「調子が悪い」と言えて、週に2,3日は休んでいたと思います。
私のこの登校しぶりは中学2年の終わり頃まで続きます。
週に2,3日休んでいるとさすがに知識が追いつかない授業が出てくること、ノートを写すのが膨大になって面倒だったことがきっかけでした。
それでも家でゴロゴロしている方が楽なので、どうすればいいか考えて、私は「学校に行かないと会えない人たちに会いに行くことにワクワクする」と決めました。
気持ちを決める、というのも変ですが、そこまでしないとどう考えても家の方が楽しくて楽だったのです。
それを決めてからは、だいたい学校に通えるようになり、高校で単位を落とすこともなくて助かりました。
と、書いてみると、母はこんな私を見て「どうなることか」と冷や冷やしていただろうなあ、と思いますね。
そしてあの時学校に行けいけと強く言われていたら、どうだっただろうと考えます。
親には話しませんでしたが、死んでしまいたいという気持ちを中学の頃の私は抱えていましたし、想像もして見ていました。
その気持ちへのブレーキは、家が病院で(しかも外科です)日々命を救うために働いている父母の子供が自殺なんてしたらとんでもない迷惑だ、患者さんたちからどう言われるだろう、という点でした。
私のはっきりしない気持ちと体を放置しておいてくれて、両親には感謝しています。追い詰められていたらどうなっていたかわからないなあと。もちろん今はあそこで死ななくて良かったと思っていますが、その時の真剣な気持ちは忘れていません。
子どもは、本気で死を思う生き物なのです。
まだ不登校なんて言葉の無かった時代の、ギフティッドで感覚過敏の一人の子どもの話でした。
さて、皆さんのお子さん。
どんな気持ちでいるのか、こっちが「学校へ行きなさい」という看板を下ろして、ちょっと聴いてあげるのもいいかもしれませんよ。
親は子どもの味方であって欲しいものです。
家も学校も完全に同じ意見では苦しいです。
「行くか行かないか」と、0-100の考え方ではなく、間に30,50,70くらいのグレーな部分を作ってもらいたいもの。
そして親の苦しさも理解してもらいましょう。
怒りの裏には不安があります。
学校に行かないことで悲惨な未来を想像してしまっている、ゲーム中毒だったら入院させなくちゃいけないかもと思っている、自分の仕事と子育ての両立がここで崩れるのかと悲しく思っている、親たちの気持ちも色々です。
そんな話をじっくりやりとりしてお互いに考える時期にしても良い一週間です。
皆様、良い対話を。